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舟打(ふなうち)鉱山



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「弘前」(昭和22.7)を使用したものである

所在:弘前市沢田(さわだ)
地形図:陸奥田代/弘前
形態:川沿いに家屋や施設が集まる
標高:約250m
訪問:2016年5月

 

 大字沢田の中東部、作沢川沿いにある。
 現地にある
「舟打鉱山跡」の説明板によると、概略は以下のとおり。

 江戸時代の末期安政年間(一八五四〜一八五九)相馬村の万右衛門によって白光の石が見つけられ、これが鉛、亜鉛、銅などの入りまじった鉱石であることがわかり、採鉱をはじめたのが舟打の鉱山の始めである。
 その後、山の権利は幾多の人々に次々と移ったが、本格的な採掘が昭和四年に日本曹達によって行なわれ、昭和十年には舟打部落を形成し、最盛期には約一千人の住民がこの谷に住み活気にあふれていた。
 第二次世界大戦中は増産につぐ増産に昼夜の別なく増産に励んだ。終戦と共に従業員の数も減ったとは言うものの、昭和三十年頃でも日産七十トンに達していた。然し、昭和三十六年の貿易自由化の波には抗し得ず、昭和三十七年九月閉山のやむなきに至った。

 また「角川」によると、明治39年採掘権決定。大正4年頃まで中村氏などによって採掘。昭和4年日本曹達株式会社が買収し、同9年から本格的な開発に着手。閉山時の従業員は140人。硫化鉄・銅ほか、亜鉛・鉛を産出した。

 現在は、鉱山施設の中心であったと思われる場所に説明板や碑などが集まっている。建造物は皆無だが、往時の遺構が僅かに見られる。
 なお当地にあった舟打小学校は、昭和38年閉校(HEYANEKO氏調べ)。

 


写真1 道と平坦地(以下概ね下流側より)


写真2 平坦地


写真3 遺構


写真4 遺構


写真5 遺構


写真6 平坦地


写真7 平坦地


写真8 遺構


写真9 遺構


写真10 遺構


写真11 遺構


写真12 平坦地


写真13 遺構


写真14 遺構


写真15 遺構


写真16 遺構。竈?


写真17 施設跡。複数の看板が立つ

写真18 「舟打鉱山友之会」の碑

写真19 石仏

写真20 神社跡・登り口

写真21 神社跡・祠

写真22 神社跡・狛犬(阿形)

写真23 神社跡・狛犬(吽形)

写真24 鳥獣供養塔

写真25 遺構

写真26 施設群跡(現在は土場)

 

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