◆舟打(ふなうち)鉱山
所在:弘前市沢田(さわだ)
大字沢田の中東部、作沢川沿いにある。 江戸時代の末期安政年間(一八五四〜一八五九)相馬村の万右衛門によって白光の石が見つけられ、これが鉛、亜鉛、銅などの入りまじった鉱石であることがわかり、採鉱をはじめたのが舟打の鉱山の始めである。 また「角川」によると、明治39年採掘権決定。大正4年頃まで中村氏などによって採掘。昭和4年日本曹達株式会社が買収し、同9年から本格的な開発に着手。閉山時の従業員は140人。硫化鉄・銅ほか、亜鉛・鉛を産出した。 現在は、鉱山施設の中心であったと思われる場所に説明板や碑などが集まっている。建造物は皆無だが、往時の遺構が僅かに見られる。
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写真17 施設跡。複数の看板が立つ |
写真18 「舟打鉱山友之会」の碑 |
写真19 石仏 |
写真20 神社跡・登り口 |
写真21 神社跡・祠 |
写真22 神社跡・狛犬(阿形) |
写真23 神社跡・狛犬(吽形) |
写真24 鳥獣供養塔 |
写真25 遺構 |
写真26 施設群跡(現在は土場) |