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◆田代平(たしろたい)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「青森東部」(昭和40.1)を使用したものである

所在:青森市駒込(こまごめ)
地形図:田代平/青森東部
形態:高原の平坦地に家屋が散らばる
標高:約560m(学校付近)
訪問:2016年5月

 

 大字駒込の東部、駒込川の上流部にある。
 市史によると、当地は戦後の開拓集落で入植は昭和25年。昭和32年当時、戸数は30、脱落戸数は62とある。高地であったため酪農と農業を並行して行っていたよう。

 現地には八甲田温泉や田代平湿原といった観光地があり、また地内に別荘地があるため無住の集落といった雰囲気はない。駒込川の右岸側には、かつての開拓農家の家屋が点在し往時の面影をそれとなく窺える。
 学校跡には碑があり、これによると田代平小学校は昭和25年5月浜舘小学校田代平分校として開校。また田代平中学校は、昭和25年11月筒井中学校田代平分校として開校。いずれも昭和44年4月独立し、昭和55年3月閉校。
 また集落内の田代神社には「拓魂」の碑があり、集落の歴史が刻まれている。以下は碑文。

 この開拓は昭和二十二年 青森県開拓少年隊(隊長鎌田猛 隊員五十名)の入植に始まる それは我が国高冷地農業開発の先端を行く 壯挙として注目を集めたが立地条件の酷しさに加えて経験の少ない青少年の集団では至難の業であり 一ヶ年にして隊員は殆んど離散(※) 隊長又病魔に冒され不帰の人となり 残留せる者わずかに五名 翌二十三年 青森県副知事松野伝農学博士の斡旋により 日本の酪農家としてその名も高き 富樫鉄之助翁を指導者と仰ぐ 翁は直ちに北海道勇拂郡安平村の酪農地帯より指導農家二十戸の先遣隊を導入 明けて二十四年にはその家族の一部をも移住せしめて 開墾営農に努めたがこれ又四戸を残して全て離脱(※)した 翌二十五年より二ケ年に亘り 翁は自分の故郷である山形県飽海郡下の農家次三男と地元青森県内の希望入植者を併せて四十余戸を入植せしめ 次いで二十八年には遠く岐阜県の分村入植者三戸をも受け入れて鋭意開拓事業に専念
した結果 離農(※)者相次ぐ中にも漸次定着農家の累積を見て 三十戸の計画戸数に達するまでとなった
官公庁の指導により営農基盤と環境の整備が促進され 部外者からの暖かい協力と激励を心の支えとして今日漸く肉牛生産地として將来を期待されるに至った
  この間三十年 指導者富樫翁は既に亡く 残る農家は二十二戸を数える
   開拓者の道は常に 冷厳なる大自然の中で 生命をかけた 斗であった
夛くの心からなる協力者に 今改めて謝意を表し碑文とする

 田代平開拓酪農協同組合

※ 「離」はすべて略字(ふるとりを除いた部分のみ)

 


写真1 集落風景


写真2 同


写真3 学校跡の碑


写真4 神社と碑


写真5 宅地跡?の小屋


写真6 家屋


写真7 家屋


写真8 建物


写真9 家屋


写真10 廃屋


写真11 建物跡

 

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