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◆八雲鉱山



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「遊楽部岳」(昭和35.11)を使用したものである

在:八雲町鉛川(なまりかわ)
地形図:春日/遊楽部岳
形態:川沿いに家屋や施設が集まる
離村の背景:産業の衰退

標高:約170〜300m
訪問:2014年5

 

 字鉛川の南部で、鉛川上流部にある。主にマンガンを産出し栄えた鉱山集落。
 町史によると、鉱山の歴史は古く、延宝2(1674)年には採鉱が行われ亜鉛・鉛・金などを産出したといわれる。明治期も試掘と休止が繰り返されてきたが、大正7年、合資会社大場鉱業所がこれを遊楽部(ゆうらっぷ)鉱山と称しマンガン等の採掘を開始。第一次世界大戦の軍需のため盛んに操業が行われたが、終戦後は需要が減少し休山。大正15年からは鉛川鉱山と改称し、採掘を再開した。昭和6年、八雲鉱業株式会社の経営となる。昭和11年八雲鉱業は中外鉱業株式会社と合併し、同社の八雲鉱業所となる。日中戦争・太平洋戦争により需要が増大するが、終戦後は需要が激減。昭和30年代には徐々に持ち直したが、昭和36年のマンガン鉱石の輸入自由化等により経営に翳りが見え始める。八雲鉱業株式会社を新設し経営の継続を図ったが、経営は悪化し昭和44年5月閉山。
 なお地図画像には「あえん」の文字とともに鉱山の記号が記されているが、この地形図が作成された時期においても、主要産物はマンガンであったと考えられる。
 以下は学校の沿革。

(小学校)
 昭和9.5.20  鉱員長屋を仮校舎とし、八雲尋常高等小学校付属八雲鉱山特別教授場開設
 昭和9.10  新校舎完成
 昭和15.3.26(※1)  八雲鉱山尋常高等小学校となる
 昭和16.4  八雲鉱山国民学校となる
 昭和22.4  八雲鉱山小学校となる
 昭和44.7.31  廃校

(中学校)
 昭和22.4.1(※1)  八雲中学校八雲鉱山分校開校。小学校に併置
 昭和23.4.1(※2)  独立。八雲鉱山中学校となる
 昭和25  校舎完成
 昭和44.7.31  廃校

※1 月日は現地の碑より
※2 日は現地の碑より

 また地図画像の「温泉・鉱泉」の記号のうち下流(北側)にあるものは通称「高見温泉」と呼ばれるもの。古くからこの付近には温泉が湧出していたが、ピリカベツ駅逓の管理人であった高見氏がこの地の浴場を改築し管理した。昭和初期に中外鉱業に譲渡され、職員の福利施設として利用。閉山後、昭和49年に観光資源開発の一環で再び掘鑿が行われ、現在営業中の温泉付き宿泊施設「おぼこ荘」に至っている。上流(南側)にあるものは「鉛川温泉」と呼ばれ温泉宿が営業していたが、こちらも中外鉱業に譲渡され職員の入浴に供された。ともに閉山時には消滅。

 現在は集落入口付近におぼこ荘(写真1)・小牧荘(写真2)が営業中。しばらく進むと学校跡の碑、さらに進むと山荘(オボコ山の家。写真9)や神社(写真10)がある。山荘の玄関にはポストが置かれているが、かつて鉱山街の郵便局で使用されていたものであるよう。この先は道も悪く建物も皆無だが、僅かに遺構が確認できる。鉱山の記号付近まで進むと、炉の遺構(写真17)も見られた。

 


写真1 宿泊施設(おぼこ荘)

写真2 同(小牧荘)

写真3 住宅跡

写真4 住宅跡

写真5 橋と写真4遠景

写真6 学校跡の碑

写真7 校地の遺構

写真8 「鉛川温泉」方面への橋

写真9 山荘

写真10 神社の社殿

写真11 道

写真12 建物の遺構

写真13 橋の跡

写真14 同

写真15 トロッコの車輪

写真16 橋

写真17 炉

写真18 何かの跡

写真19 遺構

写真20 谷とズリ山?

写真21 ズリ山?にて。柱状の材

写真22 同。レール

 

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