◆泉岱(いずみたい)
※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「相沼」(昭和36.2)を使用したものである
所在:八雲町熊石泉岱町(―ちょう) 地形図:砂蘭部岳/相沼 渡島鮎川/相沼
異表記:古川岱
形態:川沿いに家屋が散在する?(旧集落)
離村の背景:ダム建設(旧集落)
標高:約80m
訪問:2014年5月
旧熊石町の南部、相沼内(あいぬまない)川沿いにある。町史では「古川岱」として紹介されており、その内容から旧集落は現在の相沼湖付近にあったと思われる。先の地図画像の建物は、発電所関連の施設か。
町史によると、明治42年に福島県川沼郡及川村(※1)沼の上の13世帯(※2)が入植したことが集落の興りであるよう。入植者の故郷では凶作が続き困窮していたため、明治41年に新天地を求めるべく故郷を発った。第一陣は団長の大竹氏(役場職員)ほか水下・遠藤・遠藤・大久保・保谷・加藤・遊佐・渡辺・酒井・安西・家永。開墾した畑では豆類や雑穀・野菜を作り、のち養豚や養鶏も行うようになった。明治43年第二陣が入植。近藤・吉田・相原・伊藤・宍戸・田中の各氏だが、吉田氏はすぐに移転。第一陣の水下・大久保各氏は帰郷、改めて16世帯が開墾に従事した。
大正11年、相沼内川に大規模発電所の建設が計画され、当地が候補地として挙がる。住民は補償金を受けて各地に転出した。昭和3年工事開始、昭和5年完成。
なお「角川」によると、字泉岱は昭和15年からの行政字で、もとは熊石村大字相沼内村の一部。
※1 河沼郡笈川村【現・湯川村】の誤植だろう
※2 名が挙げられているのは後述の12名
まず地図画像で建物が並んでいる辺りを探索するが、傾斜が緩い土地になっているのみで建物の痕跡は確認できず。続いて相沼内ダム(写真4)を経由し最近の地図で車道の終点になっている場所まで訪れてみたが、やはりこれといったものは見られなかった。なお車道からはダム湖を望むことはできない。
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