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◆日中戸(にっちゅうべ)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「久遠」(昭和35.11)を使用したものである

在:せたな町北檜山区新成(しんせい)
地形図:後志太田/久遠
形態:海沿いに家屋が集まる
離村の背景:災害?
標高:数m〜
訪問:2014年5月

 

 字新成の中西部、日中戸岬付近の海岸にある
 『北檜山町五十年のあゆみ』によると、明治2年、熊石【現・八雲町】の相沼(あいぬま)から訪れた稲船氏がこの地に漁場を開発し、永住するようになったとのこと。昭和38年9月の集中豪雨で2戸流出、7戸半壊、その他の人家および施設も土砂崩れ等の危険が及ぶという
潰滅的な被害が生じた。罹災時13戸で、稲船・真砂・工藤・古谷・三上・三上・工藤・長谷川・工藤・小隅の各氏および教員3世帯(校長の鶴氏、小学校教員の丸藤氏、中学校教員の福原氏)。
 日中戸小学校は、明治31年5月太櫓(ふとろ)尋常小学校日中戸仮分校として開校。鵜良国民学校(※)日中戸分校を経て、昭和25年10月独立。日中戸中学校は、昭和25年10月開校(小学校に併置)。昭和38年の災害により授業が不可能となり、小学生7名・中学生5名はヘリコプターで救出、中央公民館に収容され東瀬棚小学校・同中学校に通学することとなった。昭和38年3月廃校となる。

 集落は現在、新しい県道の拡幅もあってか往時の面影はほぼ見られない。沢沿いの高台に残る校舎の基礎が、数少ない集落の名残といえる。

※ 本文では「鵜泊国民学校」とあるが、「鵜良」が正しいよう(新生小学校の前身)。鵜泊(うどまり)・良瑠石(らるいし)の頭文字を取った名称だろう

 


写真1 集落風景(以下南部)

写真2 学校跡(中央の平坦地)

写真3 学校跡の遺構

写真4 校舎基礎。「昭和三十年十一月十九日完成(基■)」とある
※ ■は判読できず。「礎」か

写真5 同。「北海道太櫓郡太櫓村日中戸小中学校(団長三上勇吉)」とある
※ 「団」および「勇吉」は当初判読できなかったが、後日ナルセ氏により解読

写真6 学校跡から河口を望む

写真7 宅地付近(北部)

 

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