◆峠下(とうげした)
※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「館」(昭和36.1)を使用したものである
所在:厚沢部町峠下 地形図:設計山/館
形態:川沿いに家屋が散在する
離村の背景:ダム建設
標高:約150m〜(水面は約190m)
訪問:2014年5月
町の東部、鶉(うずら)川沿いにある。現在は鶉ダムの湛水に伴い字域の下流部が水没。
「角川」によると、昭和41年稲倉石ダムの着工により、住民は離農転居して無住となったという。また字峠下は昭和35年からの行政字。もとは厚沢部村大字鶉村の一部で、峠下・三角峠・麓・大野沢口・大丁沢口・稲倉石(いなくらいし)・西鶉・西鶉原野。
最も下流部の「稲倉石」(水没)は、史蹟「稲倉石古戦場」としてその名が残る。明治元年、函館戦争により松前軍(新政府軍)と旧幕府軍がこの地で交戦。狭隘な地形を活かした自然の要害で、松前藩館城にとっては重要なな砦でもあった。松前軍は敗戦を喫したが、大正8年、松前出身の蠣崎氏が戦歿した藩士を弔い碧血碑(写真2)を建立(現地の説明板などによる)。なお地図画像左端の「記念碑」は、おそらく移設前の碧血碑と思われる。
「大丁沢口」では半分が水没しているが、湖畔の林の中には数箇所の屋敷跡が確認できる。
「峠下」では、屋敷跡や管理家屋・倉庫が見られた。
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