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◆新歌(しんうた)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「上芦別」(昭和36.10)を使用したものである

在:歌志内市新歌
地形図:文珠/上芦別
形態:川沿いの斜面に家屋や施設が多数集まる
離村の背景:産業の衰退
標高:約280m(左岸住宅)
訪問:2012年6

 

 市の南部にある炭礦集落。西山沢川沿いにある。
 市史や「角川」によると、新歌志内礦の大まかな変遷は以下のとおり。

 明治40年日本興行株式会社が試掘権を受けて以来、奔別炭礦・山下鉱業(のち山下汽船)・北海道鉱業・住友坂炭礦(のち住友石炭鉱業)と経営主体を経て石炭を産出。昭和28年いったん閉山する(昭和27年488戸2,529人)。その後昭和32年5月、幸袋鉱業が新歌礦を開礦。翌年石炭採掘を再開。これも同38年に閉山した(昭和35年173戸813人)。
 また山神社や馬頭観音碑・殉職者之碑などがあったがも今はなく、山道沿いに新歌志内礦之碑が立てられた。
 以下は
学校の沿革(「角川」の情報含む)。

 大正9  西山尋常小学校新歌志内分教場開設
 昭和28?  閉校
 昭和34.5  新歌小学校設立認可。社宅を借り受け仮校舎とし、授業開始
 昭和35.11  新校舎完成
 昭和38  閉校

 なお中学校は、昭和23年神威中学校から分離独立。昭和28年閉校か。再興後は設けられなかったようで、幸袋鉱業の専用バスで神威中学校へ通学していたという。
 また歌志内高等学校新歌志内分校が昭和25年開校。昭和28年閉校か

 訪問は上砂川町の西山より。川沿いには車道が開通しており、集落付近まで訪れることができる。集落付近では最近になって道が整備されたようで、履帯の轍が新しい。
 現地に到達し、すぐ山手が段々になった集合住宅の跡地。規則的に並んだ槽状の設備が多く見られる。さらに上流側へと道なりに進むと川へ近づき、ここではコンクリート製の何かの建造物が見られた(写真7)。古い地図でもこの付近に家屋が記載され、川沿いの平坦地にも炭礦関連の施設があったと思われる。なお学校跡は分からず。
 探索は西山沢川左岸のみであったが、後で知るところでは右岸側にも神社跡や先述の碑の基礎などいくらかの遺構があるよう。

 


写真1 集合住宅にて

写真2 同

写真3 同

写真4 同

写真5 同

写真6 同

写真7 何かの建造物

写真8 壜

写真9 川沿いの平坦地

写真10 炭礦設備の一部?

 

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