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◆岩屋(いわや)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「辨邊」(大正8.12)を使用したものである

在:豊浦町礼文華(れぶんげ)
地形図:礼文華峠/豊浦
形態:海沿いに家屋が集まる
標高:数m
訪問:2014年5

 

 字礼文華西南部。JR室蘭本線小幌(こぼろ)駅から、南東に向かって降りた浜辺にある。
 現地には洞窟に納められた「
岩屋観音」と、「国定史跡善光寺 巖屋観音庫裡」と記された建物があるのみ。岩屋観音は円空(えんくう)上人が彫ったという仏像で、漁師の守り神として祀られている。以下は町教育委員会が設置した仏像の説明板より。


岩屋観音
 通称首なし観音

 一六六六年、僧円空が、この洞くつで仏像を彫って安置した。
 修行の僧が、熊に襲われこの仏像の後に隠れて、難を逃れた。仏像の首を熊に食いちぎられて以来「首なし観音」と言われて来た。
 一八九四年、泉藤兵衛により首は修復された。と伝えられている。
 祭礼は、九月一六日、一七日に行われる。


 書籍『北の無人駅から』には著者による元小幌駅員(昭和2年生)への聞き取りがあり、「そこにも3〜4軒、漁師さんがいた」「その奥にも、ポツンと1軒いた」とのこと。さらに
元住民(福沢氏。明治20年代から昭和47年頃まで居住)への聞き取りによると、小幌一帯に人が住むようになったのは明治期で、当時イワシ・イカ・マグロの漁場として栄えていたという。この家のほかに2軒の漁師と、20〜30人が住み込みで働く番屋があった。なお小幌駅を取り上げた章の扉には取材時のメモと思われる走り書きがあり、これによると岩屋には福沢・■地・木村・河谷(4〜9月)、離れて佐■(■は判読できず)の各家があったよう。
 なお同書によると、小幌駅の沿革は以下のとおり。

 昭和3  国鉄室蘭本線開通
 昭和18  小幌信号所開業
 昭和39.7  静狩−小幌間複線化
 昭和42  小幌−礼文間複線化(9月)
 小幌信号所無人化。小幌仮乗降場となる
 昭和62  小幌駅となる

 地図画像から分かるように、岩屋観音のある浜(地名表記付近)からおよそ400m南東の小さな浜にも建物が記されている。先述の「その奥にも1軒が暮らしていた」という「佐■」氏の家と思われるが、現地では僅かに石組みが確認できた程度(写真6・7)。 

 


(写真1 小幌駅からの案内看板)

写真2 浜

写真3 庫裏

写真4 観音が祀られる洞穴

写真5 何かの釜

写真6 隣の浜

写真7 写真6にて。石積み

 

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