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◆奔別(ぽんべつ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「岩見沢」(昭和31.9)を使用したものである

在:各細目参照
地形図:幾春別/岩見沢
形態:川沿いに家屋や施設が多数集まる
離村の背景:産業の衰退

標高:約70m〜
訪問:2012年6

 

 奔別炭礦に伴う集落。奔別川に沿う。
 地区は8の字からなっており、下流側より奔別新町(―しんまち)・奔別町(―ちょう)・奔別川沿町(―かわぞえちょう)・奔別川端町(―かわばたちょう)・奔別旭町(―あさひちょう)・奔別鳥居沢町(―とりいさわちょう)・奔別中の沢町(―なかのさわちょう)・奔別本沢町(―ほんさわちょう)(礦山と関連の薄い奔別沢は別に項目を設けた)。なおスキャン画像には範囲の都合で「幾春別(いくしゅんべつ)」も入ってしまっているが、隣接する別の地区。
 現在も企業による露天掘りが沢地内で行われており(鳥居沢町に事務所)、平日はダンプの往来が多い。訪問時は事務所の方に掻い摘んで案内していただいた(本別町・旭町を除く)。
 本別町の竪坑(写真1)は当地域で最も顕著な遺構であり、構内入口には説明板も立っている。以前はさらにいくらかの建造物があったようだが、いくらかは最近撤去されたよう。

 市史によると奔別炭礦の開鉱は明治35年12月といわれる。当時の経営は奈良氏ほか2名。続いて山県氏(同39)・日本興行株式会社(同40)・奔別炭礦株式会社(同44)・山下鉱業株式会社(のち山下汽船鉱業株式会社)(大正7)・北海道鉱業株式会社(同13)・住友炭礦株式会社(昭和3)・住友礦業株式会社(同11)・井華鉱業株式会社(同21)・住友石炭鉱業株式会社(同27年)と経営主体を経ている。
 学校(奔別小学校)の沿革と児童数の変遷は以下のとおり。

 明治41

 奔別簡易教育所設立
 明治43  幾春別(いくしゅんべつ)尋常高等小学校奔別分教室となる
 明治44  奔別尋常小学校となる
 大正7  幾春別尋常高等小学校と統合
 昭和23  奔別小学校開校(幾春別小学校から分離、新設)
 昭和48  閉校

年度 昭和25 昭和28 昭和31 昭和34 昭和37 昭和40 昭和44

本校

1,367 1,350 1,375 1,534 1,249 982 884

 またその他の学校として、中学校卒業後鉱員を志望する者を対象とする「住友奔別鉱業学校」があった。昭和33年4月開校、昭和46年3月廃校。途中から札幌市の高等学校の通信教育制度も取り入れられ、高卒資格の取得認定校でもあった。
神社は
奔別山神社。最初の鎮座地(明治41年9月)は五の沢(本沢の奥)。大正10年4月に社殿は中の沢に造営された。
 なお以下は「角川」より各街区の特記。

鳥居沢町…大正7年鳥居沢坑開坑に伴い炭住地帯となる(同坑は昭和7年廃坑)
中の沢…大正6年中の沢坑開坑に伴い炭住を建設(昭和7年同坑は廃止)。大正末期から昭和初期には炭鉱の中心地として栄え、日用雑貨・菓子店・豆腐屋・床屋などの商店が建ち並んだたという
本沢町…明治末期から大正初期にかけて奔別の中心であった

 


写真1 竪坑(以下奔別町)

写真2

写真3

写真4 煙突

写真5 住宅跡(以下川沿町)

写真6 同

写真7 学校付近(以下川端町)

写真8 殉職者の慰霊塔(左)・「顕徳碑」(右)

写真9 街灯

写真10 下り道と住宅跡

写真11 道。歩道の縁石が残る

写真12 電柱と看板

写真13 遺構

写真14 遺構

写真15 (以下旭町)

写真16

写真17

写真18

写真19 炭礦事務所(以下鳥居沢町)

写真20 馬頭観音

写真21 (以下中の沢町)

写真22 神社の碑

写真23 (本沢町)

 

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