◆新陽(しんよう)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「留寿都」(昭和31.11)を使用したものである
所在:真狩村新陽 地形図:羊蹄山/留寿都
形態:山裾の緩い傾斜地に家屋が散在する
標高:約310m〜
訪問:2014年5月
町の北東部、羊蹄山の南東山麓にある。
村史および「角川」によると、明治39年北海道庁により模範林事業区に指定され、同時に入植する者がったとのこと。先駆けは、横川氏や次いで影山氏・橋本氏・久保田氏らの単独で入植。森林の伐採ののち開墾に着手し、ソバ・エンドウ・トウモロコシ・ジャガイモを栽培した。大正期には行天氏・舟橋氏・玉木氏が澱粉工場を開設。昭和初期には40戸に達したが、昭和3年8月、3度の山津波により農地に潰滅的な被害が発生。きわめて水利が悪いこともあり、1戸を残して離村した。昭和29年以降にも新規の入植が行われたが、経営不振などにより全戸離農。
行政字としては、旧字名で真狩別原野・後別山麓・後志山麓と呼ばれた土地。大正6年には「5部」、昭和2年「5区」となり、同16年の字名改正で「新陽」となった。地名の由来は「高丘ニシテ終日陽光ニ恵レシ故ナリ」。
昭和12年当時の居住者は、川西・久保田・渡辺・片野・加藤・片野・中川の各家。
現在は道道から近い部分で通い耕作が行われているが、農地以外は荒地や雑木林。地図には実線で記載されながら、徒歩でも進入が困難な道路もある。家々の痕跡はほとんど見られないが、東端の飛び地状になった字領域内で屋敷跡を1箇所確認(最近の地形図にも建物として記載されている)。現行の字境界となっている山麓の車道も訪れてみたが、特にこれといったものは見られなかった。
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