◆トーマル(とーまる)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「古平」(昭和35.6)を使用したものである
所在:神恵内村神恵内村(かもえないむら)字トーマル
地形図:両古美山/古平 ポンネアンチシ山/余別
異表記:当丸
形態:山中に家屋が散在する
標高:約200〜400m
訪問:2014年5月
大字神恵内村の東部、古宇(ふるう)川支流のトーマル川上流部にある。
資料『郷土かもえない』によると、大正期?に森本氏ほかが開墾。その後いったん無住になり、昭和23年に戦後の開拓地として白鳥氏を団長とする樺太からの引揚者17戸が入植。国の援助を受け、また入植者のすべてが神恵内開拓農業協同組合を組織して開拓が進み、昭和26年のフローリング工場・搾油設備・製殻設備、同27年のバター工場、同29年の製パン工場、同30年の澱粉工場といった施設が作られるなど発展したが、昭和29年の台風、同31年以降の冷害によって離農が相次ぎ、昭和41年全戸離村に至った。以下は当地にあった学校の沿革。
昭和23 |
神恵内小学校清川分校開校 |
昭和28 |
小学校独立。清川小学校となる |
昭和29 |
神恵内中学校清川分校開校。小学校に併置 |
昭和40 |
小学校・中学校廃校 |
現在は深い笹藪のため、集落全域の踏査は非常に困難。サイロ跡など僅かな遺構を確認するに留まった。なお道道脇の一角には「拓魂」と刻まれた碑(平成元年12月設置。写真5)があり、かつての開拓者を讃えている。以下はその碑文。
昭和23年この地に神恵内小学校清川分校が設置され、40年11月に廃校に至る間独立校舎の建設、中学校併置等、困苦の中で開拓魂を燃やしつづけた入植者一同を讃えて建立する。
なおナルセ氏の情報によると、実際の学校跡はここから道路を外れ斜面を下った場所にあるという。
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