◆稔(みのり)
※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「妹背牛」(昭和45.2)を使用したものである
所在:北竜町三谷(みたに) 地形図:恵岱別/妹背牛
形態:川沿いに家屋が散在する 標高:約70m
訪問:2012年6月
字三谷の中部から西部、御料川沿いにある。
町史によると、もとペンケ御料地と呼ばれた場所。明治44年、帝室林野局は開拓農家(小作人)10戸を募集。150戸が応募した。開墾の開始は大正2年。最初のうちは自給用の麦・ジャガイモ・トウモロコシなどを生産し、3年目に初めて商品作物を出荷。しかし10戸分で馬車1台に過ぎなかったという。稲作は難しいと思われていたが、大正12年曽田氏が良好な収穫を得る。他の家もこれに倣い、昭和3年頃から米の自給ができるようになった。戦後に20戸が入植し沢の奥まで開墾を試みたが、生産が上がらず離農者が続出した。昭和38年度末の時点で6戸。
現在、川筋と三谷中心部との境目付近に現住の家があるが、住民(平成7年転入)も稔に含まれるかは分からないという。分かるもので10数軒が暮らし、田畑を耕作して暮らしていたという。
この家より奥では、崩れかけたサイロが1棟、奥に産廃の処分場、支流に家屋が1軒。川沿いには田畑が広がる。
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