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◆恵庭(えにわ)鉱山



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「樽前山」(昭和12.3)を使用したものである

在:恵庭市盤尻(ばんじり)
地形図:恵庭岳/樽前山
形態:川沿いに家屋や施設が集まる
標高:約520m〜
訪問:2014年5

 

 字盤尻の西部、漁(いざり)川沿いにある。主に金・銀を産出。
 市史によると、発見後は日本工業株式会社が試掘権を獲得し(昭和9年4月)、探鉱の結果埋蔵鉱量が豊富であることが推測されたため、昭和11年6月、試掘権を採掘権に替え本格的な採掘事業を開始。
昭和14年4月からは精錬場も稼働。従業員も昭和14年322人、同15年548人となり、同16年にはおよそ700人を予定するに至る。しかし太平洋戦争が激化するに伴い、政策により金鉱山は整備縮小となり、やむなく閉鎖。鉱区は昭和18年6月、帝国鉱業開発会社に移管された(その後の沿革は記載なし)。以下は学校の沿革。

 昭和14.9.30  恵庭鉱山尋常小学校開校
 昭和16.4  恵庭鉱山国民学校となる

 昭和18.6.30

 廃校


 かつての鉱山街に建物や遺構はほぼ皆無だが、外れには火葬炉(写真3)が残されている。精錬所跡付近には規模が大きめの遺構が散見。諸情報を参考に坑口跡の捜索も試みたが、谷筋を誤ったのか発見には至らず。

 


写真1 居住区風景

写真2 集落内の道

写真3 火葬炉

写真4 擁壁

写真5 施設跡

写真6 同

写真7 碍子

 

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