◆上幌内(かみほろない)
※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「穂別」(昭和37.6)を使用したものである
所在:厚真町幌内 地形図:厚真川上流/穂別
形態:川沿いに家屋が散在する 標高:約90m(学校付近)
訪問:2014年5月
字幌内の中部、厚真川沿いにある。現在は一部が厚真ダムの人造湖に水没。
以下は町史より、学校の沿革。
(小学校)
大正5.9 |
第六小学校付属上幌内特別教授場設立認可 |
大正6 |
新校舎完成(4月15日)
開校(5月7日) |
昭和2.2.1 |
第二小学校付属となる(第六小学校が統合) |
昭和5.6.27 |
楢山尋常高等小学校上幌内分教場となる(第二小学校が改称) |
昭和16.4.1 |
楢山国民学校上幌内分教場となる |
昭和22.4.1 |
楢山小学校上幌内分校となる |
昭和22.8.1 |
幌内小学校上幌内分校となる(幌内小学校が楢山小学校より独立) |
昭和23.10.31 |
上幌内小学校として独立認可 |
昭和35.12.28 |
厚真ダム建設のため校舎移転 |
昭和47.3.31 |
閉校 |
(中学校)
昭和23.10.1 |
楢山中学校上幌内分校として小学校内で開校 |
昭和26.1 |
小学校敷地内に新校舎完成 |
昭和27.10.1 |
独立。上幌内中学校となる。小学校に併置 |
昭和36.2.27 |
校舎移転 |
昭和47.3.31 |
閉校 |
なお閉校後は郷土館として利用されていた。
昭和45年厚真ダム完成。昭和48年6月、厚真ダム広場で第1回の田舎まつりが行われ、以来町の行事として定着している。
厚真ダム完成後も学校より下流側を中心に居住者があったようだが、現在は厚幌ダムの建設計画があってか無住地となっている。残っている建物は、先述の郷土館から転用されたと思われる学校跡のキャンプ施設(写真2)くらいだが、厚真ダムの堰堤付近には人家風の管理事務所(写真6)と神社(写真7)が見られる。以下は学校跡に置かれている説明板より(■は褪色により判読できなかったもの)。
史跡第三号
上幌内小中学校跡
大正四年に岩崎一郎氏物置内に補習教授場を仮設し、伴
登氏が教授に当つていたが習(原文ママ)五年特別教授場設立の認可があり部落民協力して十九坪の校舎を建築、これを寄附して大正六年四月開校された.当時の児童数は男子十、女子九名であつた
その後幌内・楢山の分校となつたり独立して中学校の併置や昭和三十六年には校舎新築移転(現在郷土■■として利用する)等幾多の変遷を経て、時代の推移により昭和四十年代前半■児童数の減少著しく昭和四十七年四月一日幌内・楢山両校に統合、小学校五十五年中学校三十四年の「山の学校」の歴史を閉じる
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