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◆岩尾別(いわおべつ/イワウベツ)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「羅臼」(昭和46.10)を使用したものである

在:斜里町遠音別村(おんねべつむら)字岩尾別
地形図:知床五湖/羅臼
アクセント:イワオベツ:イワウベツ
形態:川沿いから台地にかけ家屋が散在する
標高:川沿い―10〜20m 台地―150m前後
訪問:2013年6月

 

 大字遠音別村の南西部、イワウベツ川河口付近とその西側・東側の台地に広がる地域
 以下は町史より。
 岩尾別原野の植民区画の開始が明治43年。大正3年、胆振の門脇・青木・野呂、宮城の岩佐各氏が入植した。続いて
大正4年4戸、同6年山形団体12戸(団体長金村氏)・福島団体22戸(団体長杉本氏)、同7年福島団体12戸(団体長志田氏)が入植。農作物はまずジャガイモ・雑穀を栽培。男性は夏は漁撈・冬は伐木・搬出に従事し現金収入を得ていた。大正8年頃より離脱者が現れ、同13年には15戸、大正14年?(※1)には千葉・延原・大矢各氏の3戸となる。
 昭和13年に再び大規模な移住が行われ、本田氏を団体長に38戸が入植。うち岩尾別川東25戸・川西13戸。川西では入地と同時に赤イ(あかい)川(イワウベツ川支流。原文では「赤の川」)からの用水路の工事に着手、これを完成させた。
 昭和24年の時点で、同14年に入地した20戸と樺太からの引揚者5戸が営農していたが、昭和25年、三たび移住が行われ、23戸が入植。うち岩尾別川東14戸・川西9戸。これまでの畑作を基幹に肉牛や澱粉加工などを加えた。昭和26年度、宮城県からの入植受け入れが決定。同年度川東に4戸、同27年度1戸、同28年度川西に7戸、同29年度川東に11戸、計23戸が入植。また町内からも昭和26年度3戸、同27年度1戸、同28年度2戸、計6戸が入植。
 昭和40年12月から集落の集団移転が始まる。
 昭和25年37戸220人、同30年58戸267人、同35年51戸262人、同40年34戸179人。
 岩尾別小学校は、昭和14年11月岩尾別特別教授場(※2)として設置さた。なお寺子屋方式の教室が大正7年に置かれている。岩尾別中学校は、昭和26年4月1日宇登呂中学校岩尾別分校として開校。昭和29年独立し岩尾別中学校となる。小学校・中学校とも昭和42年3月31日廃校。
 岩尾別温泉は古くからアイヌによって知られ、斜里・宇登呂の猟師らが利用していた。大正8年より山形団体の金村氏(団体長の金村氏とは別人)が小屋や湯船を作り、旅館「山形屋」の経営を開始。のち権利が奥山氏を経て木下氏に移り、以来集落有志により小屋が作られた(※3)。昭和37年には温泉までの車道も完成(写真13はその記念碑)。
 地内ではイワウベツ川河口付近で人工孵化事業が行われている。昭和12年、さけ・ます養殖水産組合岩尾別事業所が完成。川の氾濫などにより昭和13年休業。昭和21年北海道の管轄により再開。以後国(水産庁)や地元漁協など管轄を転々と変え、数度に亘る水害に脅かされながらも優れた業績を収めており、刊行当時(昭和45年)にはカラフトマスの採卵放流実績が全道1位となっている。

※1 「大正14年に岩尾別移民が退去したあと、(略)部落には千葉、延原、大矢が残るのみとなり…」とあるが、同年に集団転出があったか
※2 本校となる校名の記載はないが、遠音別小学校と思われる
※3 後の木下小屋と思われる

 現在、川西では知床自然センター(写真1)が開館。道路脇の林を探索したが、僅かに壜などの生活の痕跡が見られたのみ。岩尾別橋より下流の川沿いは、先述の孵化施設およびユースホステル(写真11)。最近の地図に記載されている河口付近の碑は「さけとますの碑」(写真12)。ただし近くには句碑も立っている。岩尾別橋からおよそ3.6km上流に岩尾別温泉があり、ホテルと山小屋(木下小屋)が営業中。川東では川西よりも多くの屋敷跡が確認できる。
 孵化施設の関係者の話によると、学校は岩尾別川沿いにあったが川の氾濫により地形が変わり、校地は削られてしまっているとのこと。岩尾別橋より少し下流側。また川東で会った方(後述の運動の活動員)の話によると、最終的に無住となったのは昭和53年ではないかとのこと。少なくとも昭和54年までは通いで耕作が行われていたという。道路脇などに散見される土管のようなもの(写真10)はパイプライン(用水)のバルブで、ここで水を流したり止めたりしていたという。最近では「しれとこ百平方メートル運動の森・トラスト」(※4)が展開され、開拓跡地の保全や森林の再生が積極的に行われている。

※4 斜里町による森林の再生運動。そもそもは開拓跡地が不動産業者に買収され、乱開発が予想されたことが契機(当時は国立公園指定やヒット曲による知床ブーム、さらに土地投機ブームの背景があった)。これを町が買い取り、寄付金を募り保全活動に充てている

 

≪川西≫

写真1 知床自然センター

写真2 平坦地

写真3 平坦地

写真4 平坦地

写真5 平坦地

写真6 人工的な石積み?(写真中央)

写真7 壜

写真8 壜

写真9 遺構

写真10 バルブ設備
≪川沿い≫

写真11 ユースホステル

写真12 碑

写真13 町道開通の記念碑(温泉付近にて)
≪川東≫

写真14 屋敷跡

写真15 屋敷跡

写真16 壜など

写真17 澱粉工場。煙突はボイラーのもの

写真18 写真17沈澱槽

写真19 屋敷跡。右はサイロ

写真20 開けた平坦地

写真21 屋敷跡の遺構

写真22 倒潰した建物

 

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