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◆上金華(かみかねはな)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「北見富士」(昭和48.3)および同「留辺蘂」(昭和46.12)を使用したものである

在:北見市留辺蘂町金華
地形図:花丘/大和 留辺蘂西部/留辺蘂
異表記:上ポンムカ
形態:川沿いに家屋が散らばる?
標高:約330m〜
訪問:2013年6月

 

 字金華の西部、奔無加(ぽんむか)川沿いにある
 町史によると、大正4年・5年に愛媛県から35戸が入植(愛媛団体)。団体長宮田氏以下伊藤・堀・戸田・大西・大西・越智・越智・渡辺・渡部・渡辺・渡辺・鎌田・玉井・曾我部(碑では曽我部)・長野・黒川・矢野・山内・山内・山内・山内・山内・十亀・近藤・江原・日和佐・日和佐・杉野各氏の29戸。岩盤地帯が多いため
農耕に適さず、4、5年で道内転出・帰郷する者半数。その後も開墾地の荒廃などで転出が相次ぐ。昭和34年頃までは冬期に造材事業があったが、廃止後はさらに転居者が続出。刊行当時(昭和39年)は農家8戸。集落にあった上金華小学校は、昭和27年4月開校、町議となった宮田氏らの提案により設置された。昭和38年3月廃校(ただし後述の碑では同年11月)。

 集落入口は、国道242号の金華峠から1.2kmほど下った林道との分岐。ここには「愛媛団体入植之地」の碑(1980年、愛媛県人会・宮田家一同による設置)と馬頭観世音の碑(昭和15年設置)が立っている(写真1)。学校跡はここから数百メートル進んだところで、碑(昭和54年、町による設置)も立てられている。この先には広く緩やかな谷が広がっているが、農地や宅地があったのだろうか。なお、右岸の小高い場所では社(写真6)を確認。

 以下は「愛媛団体入植之地」の碑の全文。

 梅の花ほころぶ郷里の南国伊豫をあとにして八日目一、九一六年(大正五年)二月十二日薄暮。北海道開拓集団移民に応募した二十九戸百二十余人(団体長宮田仲太郎)この地上ポンムカに入植する。積雪二メートル、寒威骨を刺す厳冬と木の葉がくれに僅かに空をのぞく昼なお暗い密林が団体員を迎える。全域砂礫地帶。「五町歩の大地主」を夢みる開拓者の意欲を拒み続ける。一、九六九年(昭和四十四年)までに全戸離農、愛媛団体開拓半世紀余の歴史を閉じる。

 


写真1 碑と林道

写真2 学校跡の碑

写真3 広い平坦地


写真4 井戸?


写真5 集落風景

写真6 社

 

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