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◆美園(みその)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「小利別」(昭和48.3)を使用したものである

在:訓子府町美園
地形図:小利別/小利別
形態:緩い谷沿いに家屋が集まる
標高:約370
m
訪問:2013年6月

 

 町の南西部、ポンケトナイ川の上流部にある
 町史によると、戦後の開拓で昭和20年17世帯(元軍人軍属とその縁故者)が入地、開拓小屋などで越冬し、翌21年春から開拓を開始した。開拓地に選定された土地は荒蕪地で、入地者もほとんど農業の経験がなく苦しい開拓生活が続いたという。のち酪農が行われるようになる。最盛期は30戸弱、刊行時(昭和42年)農家10戸・非農家3戸・教員3戸の計16戸。
 以下は学校の沿革と就学児の推移。

(美園小学校)
 昭和21.5.17  訓子府国民学校美園分校設置認可。開拓者による非公認の授業開始
 昭和22  校舎完成(春)。教員就任、授業開始(11月)
 昭和24.11.1  美園小学校として独立

 昭和50

 閉校(HEYANEKO氏調べ)

(美園中学校)
 昭和24.11.1  訓子府中学校美園分校開校。小学校に併置
 昭和30.9.1  美園中学校として独立

 ?

 閉校

  昭和24 昭和27 昭和28 昭和29 昭和30 昭和32 昭和33 昭和36 昭和38 昭和39 昭和40
児童数 21 22 22 22 20 22 21 18 14 14 10
生徒数 9 8 8 10 10 10 13 7 10 11 7


 現在、道道沿いに新しい家屋が1戸(常住ではないよう)建ち、営農の拠点としているよう。同じく道道沿いに廃屋が1軒あるほか、家屋らしいものは見当たらない。学校跡および神社(跡?)は獣害防止の柵に囲繞され実地を確認することはできないが、柵の出入口に学校跡を示す看板と「乳牛感謝之碑」がある(写真4・5)。

 


写真1 屋敷跡?

写真2 屋敷跡?

写真3 牧草地とサイロ跡


写真4 学校跡の看板


写真5 乳牛感謝之碑

 

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