明治-大正 |
(石炭礦区が小規模ながらも開設されるが、休山・移転を繰り返していた) |
大正7 |
合名会社鈴木商店(神戸市)が、鉱区の買収と炭田開発を開始 |
昭和2年 |
鈴木商店倒産。鉱区は差し押さえとなる。その後、鈴木商店の番頭および系列会社の太陽曹達株式会社が全て買い戻し、太陽曹達が保有 |
昭和10年前後 |
太陽産業株式会社(前・太陽曹達)が周辺鉱区の買収を進めつつ、調査を開始 |
昭和14 |
炭礦開発計画実施。現地事務所を羽幌駅前に設置。築別御料(のちの羽幌砿地区・築別炭砿地区)地内に鉱業所を設置、炭礦名を築別炭礦として社宅・施設を建設 |
昭和16.12 |
羽幌鉄道株式会社により、鉄道(築別-築別炭砿間)開通 |
昭和16.3 |
羽幌鉄道が太陽産業の炭礦関係施設を継承し、羽幌炭礦鉄道株式会社となる。羽幌炭礦のスタート |
昭和14 |
築別炭砿地区の開発に着手 |
昭和22 |
上羽幌地区の開発に着手 |
昭和23 |
羽幌砿地区の開発に着手。本坑・第二坑を合併し、本坑(羽幌砿)に羽幌鉱業所を置く |
昭和40 |
築別・羽幌両鉱業所を統合、羽幌砿業所とし、旧鉱業所を築別坑・羽幌坑・上羽幌坑と改める |
昭和43 |
(出炭量の最高記録) |
昭和44 |
築別東坑閉鎖。翌年西坑閉鎖。羽幌坑・上羽幌坑の2山体制に縮小 |
昭和45.11 |
閉山 |