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◆旭山(あさひやま)



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「愛別」(昭和36.11)を使用したものである

在:愛別町旭山・協和(きょうわ)
地形図:中愛別山/愛別
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設

標高:320m前後
訪問:2012年6

 

 町の中部東寄り、狩布(かりっぷ)川および支流のポンケナイ川沿いにある。一部は愛別ダムにより水没。
 「角川」によると、かつては「狩布(カリップ)」と称した地域で、明治34年山内氏が入植。明治42年には55戸270人となる。ハッカ栽培が盛んであったが、豆類・麦類・ジャガイモ・ソバ・トウモロコシなども作付。大正14年、灌漑工事が完成し水田が作られたが水稲の収穫は少なく、造材などの山仕事で生計を補っていた。昭和10年王水銀鉱山が操業を開始し、60世帯余りの鉱山街が形成されたが、昭和20年廃鉱。鉱山街は無人となる。昭和26年乳牛を導入、同45年酪農事業が旭山牧場に引き継がれたが、同牧場は昭和57年町内厚生(こうせい)に移転。同年愛別ダム着工のため無住となる。なお旭山小学校は明治40年狩布教育所として開設され、移転時に閉校した。

 集落は字旭山および協和(きょうわ)に亘っており、その境界はダムの付替道路(現道道)に沿っている。さらに字旭山の範囲は北に位置する徳星(とくせい)集落を分断するように道道に沿っており、やや不自然な区劃である(最近変更されたもの?)
 現在集落跡に家屋は見当たらないが、ダム用地内には何かの建物が1棟。また先述の旭山牧場は集落奥にあり、看板や施設の痕跡が残っている(写真5)。旭山小学校跡には碑と壇状の基礎が見られる(写真6)。

 


写真1 碑。「水神」と読める

写真2 集落内の道

写真3 屋敷跡?

写真4 屋敷跡?

写真5 牧場施設

写真6 小学校跡付近

 

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