「絆が与えられた日」クリスマスに寄せて

恋人たちは愛を誓い合い、家族は食卓を囲んでの団欒を求めるこの季節。クリスマス=プレゼントと、誰もが誰かのことを思い何かをしようとしている。そう言う私もその一人なのだが、この日独特の雰囲気がそうさせるのか。しかし、たとえ雰囲気に流されているとしても、みな誰かとの絆を求めて確認したいと願っている。プレゼントに託される思いが人と人とをつなげていく、それはすばらしいことではないか。

今から約2000年前、この地上にキリストはお生まれになった。聖書によれば、キリストは神からの賜物、つまりプレゼントである。神はどんな思いをこのプレゼントに託されたのだろうか。創り主なる神から離れてしまった人間に、神は自ら近寄り、ひとり子キリストをその手に委ねられた。愛と信頼のしるしとして。神はキリストによって、ご自身と人間との断絶した関係を終わらせ、再び愛と信頼の絆を建て上げたいと犠牲を払われたのである。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりも滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」と聖書にある。神は私たちを罪から救い出し、関係を回復するために、我が子キリストを与えられた。それも赤子として、誰かの世話にならなければ生きていけない存在として、人間の手に委ねられたのである。私は親になって初めて、この神の決断の重さを実感した。私にとって我が子は我が身よりも大切でかわいいものだ。その我が子を他人の手に委ねるには、相当の信頼し合える関係が必要だ。しかし、神は関係そのものが断絶していた人間を、まず自ら愛し信頼され、そのしるしに、ひとり子を委ねられたという。この神からのプレゼントが、いかに価値あるものなのか、気付いていただけるだろうか。そして、神は、こんな一方的な愛と信頼を、永遠という時の中で示し続けておられる。クリスマスは、このしるしを記念し、キリストがお生まれになったことを祝う日である。神からの愛と信頼のしるしに、心からの愛と信頼と感謝をもって応える日として、人々は礼拝に向かうのである。もし、愛する家族やかけがえのない人と、この日、神の愛を見上げて絆を確かめ合うことができるなら、なんと幸いなことではないか。