私は社会人になった頃から、漠然と中学生や高校生との関わりを苦手に感
じ始めていたように思う。思春期が持つ独特の雰囲気に過敏に反応していた
のかもしれない。話しかけても普通に返事が返ってこないのではないか、馬
鹿にした態度をとられるのではないか、もしかすると挨拶をしても無視され
るだけかもしれないなどと勝手に考えていたのだ。しかし、今年、幼稚園の
頃から知っていた子どもたちが中学生になったのをきっかけに、私の中学生
に対するイメージが変わり始めている。確かに成長していく過程として生意
気に思える言葉や態度があるものの、実は彼らは皆、大人に期待していると
いうことが分かったのだ。期待しているからこそ、裏切られたと感じた時、
彼らは生意気なほど反発をする。または簡単には信用したり親しくなったり
しないから生意気に見える。しかし、付き合っていくうちに、彼らは情に厚
く親しくなればなるほど相手を信頼し大切にする、そんな姿が見えてきた。
彼らは関係ができると、相手の失敗や足りなさに驚くほど寛容で誠実には誠
実を、信頼には信頼を返してくる。そしてそのまっすぐさゆえに、言い訳や
ごまかしには手厳しい。ある日こんなことがあった。中学生たちが道ですれ
違った大人に「こんにちは」と挨拶をした時、その大人から挨拶が返ってこ
なかったのだ。その瞬間、彼らはその大人を馬鹿にするように笑ったのであ
る。彼らは大人に期待していると同時に、見限ることも覚えているというこ
とだ。大人は中学生をはじめ子どもたちの期待を背負って歩む必要があると
思わされた。教育とは何だろう。学校で習う教養も教育だが、同時に人間の
尊厳を持って生きること、人間としての品性や気高さを教えることも教育だ
と思うのだ。学校で競争社会を生きる彼らは自分の悪い面ばかりを見つめて
いるのではないか。勉強ができず自分はだめだとあきらめているのではない
か。自分がどのように見られているかを心配ばかりしているのではないか。
しかし、これらの問題を乗り越える方法を知らない中学生が多いのだ。だか
ら私は、できる限りの時間を彼らと共有したいと思う。一緒にいて励まし、
忠告し、あきらめないことや努力することなど力の使い方を、つまりは生き
る上で大切なことを確認したいのだ。中学生たちは言う。「学校ではそんな
こと教えてはくれない」と。しかし、これは親や地域の大人の役割ではない
だろうか。誠実に真剣に大人として精一杯生きている姿を見せることはでき
るはずだ。彼らの傍に感動を与えることのできる生き方をする大人が一人でも多くいるようにと思わずにいられない。