田辺市市民活動センター
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    市民活動団体ファイル 35

熊野百間渓谷自然学校校長・自然観察指導員・森林インストラクター 伊藤幸子さん(中辺路町近露)

   
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 伊藤幸子さんは、旧大塔村の住民や関係者で始めた「熊野百間渓谷自然学校」の校長である。自然の素晴らしさや山の暮らしについて体験を通して学ぶ学校であり、ここからネイチャーガイドとして活動できる人が育ってほしいという思いを持っている。

 Iターンで和歌山県へ、今の住まいは中辺路町近露で野長瀬一族の墓地の近くにある。大阪で暮らしていた時に河南町の持尾地区で里山の再生活動に携わった。そこで出会った老人から、「千早城に籠城している楠木正成に野長瀬一族が米を送った」という話を聞いていたので、一族の墓地に千早赤阪村から送られたクスノキをみつけた時は感慨深かった。

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 また、高原から近露まで歩いてみたが、歩くだけなら大阪のハイキングコースとあまり変わらない、もっと熊野古道について知らないと面白さがでてこないと感じる。そこで古道の語り部の会「漂探古道」に入会して熊野古道の勉強をし語り部となる。

 伊藤さんが生物や自然とのかかわり方を勉強した動機は、「子供を自然と触れ合わせたい」と考えたことにある。森ノ宮にあるユースサービス大阪で「子供を自然と触れ合わせるにはどうしたらいいか?」ということをテーマにした講座があった。講師であった大阪自然史博物館の学芸員(当時)布谷和夫先生の植物の講義が面白く、目からうろこともいえる強い印象を受ける。布谷先生が日本自然保護協会の普及指導員であったこともあり、ご自身も自然観察指導員の勉強をしてキャンプ場や公民館で活動する。

 また当時アメリカから入ってきた「ネイチャーゲーム」が面白く思われ、その企画・運営、指導者の養成なども手がける。

 平成3年には森林インストラクターが制度化された。奈良にある国営飛鳥歴史公園の講座「里山クラブ」で、森づくりとしての間伐やそれを使ってのクラフト指導、訪れる人を自然に触れ合わせたりする森林インストラクターとしての仕事も経験する。


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 長野、東京、大阪、奈良の自然を見てきた伊藤さんの目から見て「紀南には他所にない自然があり、離れられない魅力がある」という。「たしかにこのあたりの山は低い。しかし山が奥深い」。熊野川町の滝めぐりをした時にヒメシャラとヤブツバキが一所に在って、そこに夏エビネが咲いているのを見た時は本当にショックだった。「何故、ここにこれらが一所に在るの?」と。

 また、なぜ上皇達が熊野詣に来たのかは、原生の森の姿を思い起こせば理解できるという。“蛭降り百八丁”といわれ、ちょっとやそっとではない大木が繁っており、神おわす場所への道として、「山中他界」・「異界の地」の雰囲気を堪能できたのではないだろうか。その当時の様相を思い起こさせるものが大塔山系や百間渓谷・安川渓谷周辺にはまだ少し残っているという。


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 そういう「古里の自然がなくなっていくのは耐えられない」という思いを抱く地元、熊野(いや)・面川の人々と共に自然学校を立ち上げた。子供を自然と触れ合わせる「カモンくん自然教室」、単なるピークハンターでなく、山をまるごと楽しもうという「南紀・四季の山紀行」、裏山造林地を暮らしの中に近づける「温故知新の里山づくり」などの講座を定期的に開いている。


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