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◆穴内(あなない)
(上穴内(かみ―))



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「本山」(昭和28.10)を使用したものである

所在:香美市土佐山田町上穴内(とさやまだちょうかみあなない)
地形図:繁藤/本山
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約390m?(水面は約390m)
訪問:2026年1月

 

 大字上穴内の南東部、穴内川沿いにある。現在は穴内川ダムの湛水に伴い多くが水没。
 1960年代の航空写真では、水没前の多数の家屋や農地などが写っている。

 最近の地形図で建物が記されている支流側では、ダム完成後に設けられた学校の演習施設があるほか、水没を免れた墓地・神社(王太子神社・海祇神社)が見られた。墓地では岡林・上田・谷といった姓を確認。
 本流側でも県道付近に管理家屋が見られ、これらもダム完成後に設けられたものであるよう。
 なおいずれでも、水面付近に複数の遺構が確認できた。

 町史によると、ダムによる主な水没物件は住家140・商店7・事務所2・製材工場3・神社堂5・公用建物10など(山野目〔大字樫谷〕も含んだ数と思われる)。王太子神社は穴内の旧村社。海祇(わだつみ)神社(同書では「海津見神社」の表記)脇の滝は「大たびの滝」と呼ばれ、淵には蛇神が棲むと言い伝えられているという。
 「角川」によると、大字穴内は中世から見られる長岡郡の「安名内村」。および近世以降の穴内村(長岡郡)。明治22年瓶岩村の大字となる(のち天坪村)。昭和30年大豊村上穴内となる(大豊村発足時、旧天坪村・旧大杉村の両村に大字穴内があり、混乱を避けるために穴内川の上流にある当地が上穴内と改称された)。昭和31年土佐山田町に編入。寛保3(1743)年37戸169人、明治24年39戸175人、昭和60年5戸7人。
 昭和39年穴内川ダムが完成したことにより、旧集落は水没した。
 現在、地内には高知大学農学部付属演習林学生宿泊所・県立高知農業高校上穴内演習林宿舎がある。
 また参考サイトによると、当地にあった学校は国見小学校。ダム完成後は湖岸に移転し、繁藤小学校の分校となったのち昭和45年閉校したとのこと。

 


写真1 何かの跡(以下支流側)


写真2 倒潰建物


写真3 建物跡


写真4 墓地


写真5 王太子神社


写真6 海祇神社


写真7 何かの跡

写真8 水没地を望む

写真9 水没地の遺構(以下本流側)

写真10 水没地を望む

写真11 瓦

写真12 石垣と遺構

写真13 遺構

写真14 石垣。この下方が学校跡であったよう

写真15 移転後の学校跡

 

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