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◆日真(ひま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「櫻谷」(昭和26.9)を使用したものである

所在:那賀町日真
地形図:阿波平谷/桜谷
訪問:2025年12月

 

 那賀(なか)川と坂州木頭(さかしゅうきとう)川との合流部付近にある。
 町誌によると、出合(であい)・日真・そふゑ・横尾(よこお)・岩ノ平(いわのひら)(※)といった字に小集落が分布していることが分かる。
 氏神は日真にある神明神社。
 農業として古くから米・麦・芋類・豆類などを栽培していたが、これだけで生計を立てるのは困難であったよう。昭和30年頃までは焼畑も行われていた。一時期梅の栽培が流行し、そふゑ・横尾・岩ノ平に畑が作られた。昭和30年頃を最盛期に廃れ、その後はユズの栽培が盛んとなる。またコウゾが昭和25年頃まで生産されていた。

※ 読みは「角川」の小字一覧のルビに拠った

 

 

≪出合≫

形態:合流部に家屋が集まる
標高:約240m(ダム建設後)

 

 大字日真の南部。
 町誌の「日真部落交通図」(昭和55年頃の状況?)には、出合橋の近くに古田家、少し西に行ったツボサコ谷付近に山上家が記されている。現在は前者には管理家屋、後者には小屋が残り横尾へのモノレールの発着所がある。
 ダム建設前は石岡家が営む旅館があったとのこと(屋号・出合屋)。

 


写真1 出合バス停


写真2 出合橋(手前。既に供用廃止)と出合ゆず大橋(奥)。出合橋の袂に管理家屋が見える

 

≪日真≫

形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
標高:約240m(ダム建設後)

 

 大字日真の南西部。
 町誌の「日真部落交通図」には、西平家3戸のほか空家2戸、屋敷跡2箇所が記されており、また氏神(神明神社)・氏堂、日真トンネル付近に「明神さん」がある。
 このうち東の西平家は、昭和12年岩ノ平から移転。さらに昭和32年、長安口ダムの建設により現在の国道の位置にあったものをすぐ上(現在地)に移転した。
 氏堂のそばの西平家2戸も、長安口ダムの建設により現在地に移転したもの。
 神明神社は、昭和32年長安口ダムの建設により現在地に移転。祭神は天照大神。
 氏堂には、弘法大師像・地蔵菩薩・観世音菩薩像が安置されている。また境内には「お不動さん」と「草切先祖の墓」(※)が置かれており、墓はダム建設に伴い移設されたもの。

※ 現物は「艸切」の表記

 現在残る家は東側の西平家のみ。神社や氏堂は今も管理されている。日真集会所が神社の敷地内にあるものの、近年は利用されていないよう。「明神さん」は、それらしいものは確認できず。

 


写真3 家屋


写真4 神社


写真5 境内の地神塔


写真6 集会所


写真7 氏堂(「地蔵菩薩」とある)とお不動さん(手前左)・草切先祖の墓(その隣)

写真8 墓の跡

 

≪そふゑ≫

形態:山中に家屋が集まる
標高:約370m

 

 大字日真の南東部。
 町誌の「日真部落交通図」には、中東家のほか空家1戸、屋敷跡3箇所が記されている。また「山の神」がある。

 国道の出合大戸トンネルの西坑口の脇に階段とモノレールの発着所があるが、ここが集落への登り口。現地は広くユズ畑となっており、モノレールは収穫物や農業物資の運搬に用いられていることが窺える。畑の中に、作業小屋や家屋のような建物がいくらか見られる。

 


写真9 道と畑

写真10 屋敷跡?

写真11 屋敷跡?

写真12 家屋?

写真13 農地跡

 

≪横尾≫

形態:山中に家屋が集まる
標高:約470m

 

 大字日真の中部。
 町誌の「日真部落交通図」には、猪木家1戸と空家1戸、屋敷跡2箇所が記されている。また日真とを結ぶ道の途中には部落墓地がある。

 現在も管理家屋が1軒あり、この時もモノレールで訪れて滞在していることが窺えた。ほか「〜交通図」を参照に廃屋1軒、屋敷跡2箇所を確認。墓地は急斜面に作られ、一部の墓石は道まで転落。確認できたものは猪木氏・山上氏だが、その他多くの家の墓がある。

 


写真14 墓地

写真15 廃屋

写真16 屋敷跡

 

≪岩ノ平≫

形態:山中に家屋が集まる
標高:約520m?

 

 大字日真の北東部。
 町誌の「日真部落交通図」には、屋敷跡が2箇所記されている。日真地内では平地と水に比較的恵まれているようで、高所であるが「水田跡」の印が集中し、後方には「タメ池跡」や「井口水源地」が記されている。なお拝宮(はいぎゅう)の鍛冶屋谷から引いた水を井口の谷水と合わせ、水田の灌漑用水や岩ノ平2戸・横尾4戸の飲料水として使用していたとのこと。
 この時には既に無住となっているが、日真の西平氏が昭和12年まで居住していたことが言及されている。

 現地では、1箇所の屋敷跡とそのそばで墓地などを確認。「〜交通図」に記された「タメ池跡」は、広い凹地となっている。なお日真から通じるモノレールは当地まで延びているが、現在は横尾の管理家屋から先は使われている様子はない。

 


写真17 屋敷跡への道

写真18 屋敷跡

写真19 墓地

写真20 何かを祀った場所

写真21 水田跡

 

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