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◆八田原(はったばら)
所在:世羅町小谷(おたに)
大字小谷の南部、芦田(あしだ)川沿いにある。現在は八田原ダムの人造湖(芦田湖)に水没。 ダム建設により転出した家は門藤4・西山3・松原3・宮野3・新谷3・比羅岡2・岡本・亀山・中野下・丸山各1の計22戸
伊尾小学校八田原分校と改称
この里の由来も、寿永の昔平教溢等が平家の旗を立てて前途を占い「旗立原」と名づけ後に八田原と言い、又鎧兜を脱ぎ衣裳を着替えたということで「衣裳原」と名づけ後に井庄原と言い、いくら遡っても細長い谷で「小谷」と名付けたと伝える。 国は、昭和四十四年に治水・利水を目的としたダム建設を計画し、民家四十八戸、山紫水明のこの山峡には猪垣・甌穴等の景観があり、四季折々の山野の美しさを楽しませたこの里が、湖底に沈み住み慣れた墳墓の地を失うことに涙するも、時代の流れには如何ともしがたく昭和五十七年三月にこの里を離れることとなった。 八田原、井庄原、小谷集落の往時を偲び、 水没住民の将来の幸福を願って記念碑を建設し、 ここに世帯名を記し長くのそ名を留める。 平成六年十月三日
2026年再訪。 ※ 再訪前のレポートでは先の碑文を『八田原懐古』より引用していたが、文章を実物のものに修正した(「衣装→衣裳」など)
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![]() 写真1 ダム堰堤 (以下2026年撮影) |
![]() 写真2 福塩線跡。トンネルの先は湖底 |
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![]() 写真3 集落跡を望む。橋梁は八田原大橋 |
![]() 写真4 碑 |
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![]() 写真5 移設された民家(八田原民俗資料館) |
![]() 写真6 学校設立寄附者碑(明治30年11月設置)(写真5敷地内) |
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![]() 写真7 駅名標 |
![]() 写真8 神社社殿と墓地 (2013年撮影) | ||||||||||||||