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◆大鳥(おおどり)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「三段峽」(昭和32.11)および同地形図「木津賀」(昭和33.1)を使用したものである

所在:益田市美都町宇津川(みとちょううづかわ)
地形図:出合原/三段峡
形態:谷沿いに家屋が散在する
標高:約270m〜
訪問:2026年6月

 

 大字宇津川の南部、矢原(やばら)川の上流部にある。
 町史によると、集落の世帯は以下のとおり。

※ 昭和41年調べ・同43年訂正
※ 番号は当方が便宜上付けたもの。概ね下流側より
※ 屋号と姓が1つの欄になっているものは、いずれか片方の記載しかなく判断ができかねたもの
※ 同書では家屋の場所に「■」「□」「□(破線)」が記されているが、説明がなく意図は不明。■は現住、□は家屋のみ、破線の四角(ここでは◇とした)は屋敷跡か

番号 屋号 姓 記号 備考
1 オソゴエ 斎藤 ■  
2 池田ヤ 〃 ◇  
3 (記載なし) 〃 ■  
4 〃 志田尾 ■  
5 〃 岡戸 ■  
6 中津ヤ 河野 ■  
7 茶エン畑 斎藤 ■  
8 増田ヤ 三浦 ■  
9 フルヤ 田川

■

 
10 藤堂 ◇  
11 (記載なし) 岡戸 □ No.12と一緒に破線の四角で囲まれている
12 一瀬 □ No.11と一緒に破線の四角で囲まれている
13 金本 ◇  
14 山本 ■  
15 山根 ◇  
16 (記載なし) 志田尾 ◇  
17 西尾 ■  
18 佐山 ◇  


 ほか池田ヤ付近に鳥居の記号、赤谷へ通じる主要道沿いに「児島高徳ノ墓」、金本・山本付近に「鈩址」と神社の記号(アタゴ社)、上流に「鉱山」が記されている。
 なお隣接する長橋との境界が判断できず、その範囲は推測。

 現地には車道が通じ、また道の分岐には「児島高徳之顕彰碑」(※)・「大鳥鈩跡」の案内看板が立てられている。
 かつての宅地は右岸を中心に点々と存在するが、左岸にも少数。探索途中の降雨もあり、たたら跡周辺はよく探索せず、「アタゴ社」も未確認。
 たたら跡の説明板によると、製鉄は正徳4(1714)年に操業開始、明治9年閉山と伝わる。また集落では昭和50年頃まで数人が暮らしていたとのこと。

※ 児島高徳(こじま・たかのり)は 南北朝時代に後醍醐天皇に仕えたとされる武将。備前国出身。忠臣として知られる。当地の碑には、後醍醐天皇が隠岐に流される際に児島が桜の木に刻んだという漢詩(十字之詩)と、後年に斎藤監物が児島を題材として詠んだ漢詩が刻まれている

 


写真1 案内看板

写真2 道路沿いの墓の跡

写真3 写真2付近の屋敷跡

写真4 屋敷跡

写真5 屋敷跡の小屋

写真6 「児嶋高徳之顕彰碑」(左上)と碑文(右)(備後(びご)橋付近)

写真7 屋敷跡

写真8 支流の道(左)と農地跡

写真9 屋敷跡

写真10 屋敷跡の小屋

写真11 「御制札場跡」の立て札。現地は旧道沿いにあるよう(未確認)

写真12 たたら跡。後方の立て札の場所は「吹屋場跡」、その後方の段には「勘場(事務所)跡」がある

写真13 屋敷跡?

 

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