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◆柏(かしわ)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「奥津」(昭和35.2)を使用したものである
所在:三朝町福本(ふくもと)
地形図:下鍛冶屋/奥津
異表記:柏山(旧称)
形態:谷沿いの一軒家
標高:約430m
訪問:2026年6月
大字福本の南西部にある。
町誌によると、古くは柏山と呼ばれ、明治初年までは一戸で一村という珍しい所であった。福本では当主を「柏の庄屋さん」、時代が下ると「柏の戸長さん」、さらに後になると「柏の村長さん」と呼んでいたという。ただし庄屋も戸長も四十曲村(のち福本村)が兼務しており、一村として扱われながらも実際には庄屋も戸長も柏にはなかった。 一家は坂出姓であったが、昭和初年(※)に京都府に転出。耕地7反歩余は耕作が続けられていたが、昭和40年からは放棄された。 元文2(1737)年1戸、宝暦年間(1751-64)1戸12人、天保5(1834)年1戸。
発祥については、町内大谷(おおたに)の本坂出家の祖先が南条の落人を保護し、後に柏山に土着させ、開拓を援助したという説がある(福本本集落の口碑)。
また谷には鉱滓が至るところに見られ、古くはたたらによる製鉄が行われていたよう。
※ 別の記述では大正初年頃
「角川」によると、当地は近世の柏山村で、河村郡のうち。明治10年四十曲村と合併して福本村の一部となる。宝暦年間1戸12人で、氏神は山神。
旧版地形図では県境を越え八束村【現・真庭市】別所(べっしょ)より破線の道が通じているが、最近の地形図では集落には向かわず県内で国道に接続している。
訪問はこの道の国道側より。少なくとも南へカーブする地点までは四輪車が通れるほどの幅があり、やや荒れてはいるが比較的歩きやすい。ここから集落へ向かう道は取り付きが分からず、谷を適当に下って現地に到着した。
現地では1箇所の屋敷跡のほか、古い墓などの石造物が見られた。
帰路は本来の古い道を見つけこれを利用したが、笹が茂りあまり利用されていないことが窺える(写真5)。また先の車道付近の平坦部まで登ると道は不明瞭となり、やはり初見では非常に分かりづらくなっている。
見出しの読みは町史のルビより。
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