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◆新行(しんぎょう)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「龍神」(大正3.4)を使用したものである

所在:日高川町寒川(そうがわ)
地形図:龍神/龍神
異読み:しんぎょ(橋梁〔新行橋〕)
形態:?
標高:約500m(建物跡) 約650m(地名表記付近)
訪問:2025年2月

 

 大字寒川の東部、新行谷(日高(ひだか)川二次支流)沿いにある。
 旧版地形図では地名が左岸側の高所に記されているものの、建物はなく水田の記号があるのみ。右岸には川筋から少し上がった場所に建物が1箇所。
 現在は川沿いに林道(新行線)が通じ、訪問は容易。現地では右岸で道路沿いに小屋の跡、そのやや上方に古い屋敷跡のようなもの(旧版地形図で記されたもの?)が見られた。
 左岸の水田跡に通じる道は取り付きは見つからず、尾根を直接登って訪問。尾根には往時からの徒歩道(旧版地形図のものとは異なる)があるほか、林業の作業道(車道)が通じている。水田跡からはさらに北に向かう横道が通じており、隣の尾根まで歩いてみたが、特に何も見られなかった。道はさらに北に延びているが、どこまで通じているかは不明。反対に、旧版地形図にある谷に下りる徒歩道は現地からも確認できなかった。

 町史によると、当地には「新行屋敷」と呼ばれる屋敷跡の伝承があるという。寿永2(1183)年、平家の家臣・新行庄司正慶が源氏に敗れ、新行の小仙谷に隠棲したと伝わる。子孫は代々この地に居住したが、長禄年間(1457-60)当主死亡のため小薮川に移住したとも。現在も山林内に馬場跡があり、墓とされる場所には巨石が残っている。
 また字下新行には住吉神社があったが、明治11年3月寒川の各字にあった小社とともに合祀され、氏神社として創建。河内神社境内に社殿が建てられた。
 なお寒川村の慶長期の検地帳では、3名が上小薮川小字新行、1名が上小薮川小字「しんぎゃう」での屋敷所持者となっている(慶長6〔1601〕年)。また1町歩の切畑があった。

 見出しの読みは町史のルビに拠ったが、林道分岐付近に架かる橋(新行橋)の銘板は「しんぎょはし」となっている。

 


写真1 林道分岐の標識。右に「新行」と見える


写真2 小屋の跡(以下右岸)


写真3 屋敷跡?


写真4 水田跡(以下左岸)


写真5 陶片


写真6 水田跡からの横道

 

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