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◆猿山(えてやま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「高見山」(昭和27.1)を使用したものである

所在:松阪市飯高町猿山(いいたかちょう―)
地形図:七日市/高見山
異読:さるやま(角川・町郷土誌)
アクセント:エテヤマ
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:「清瀬」―約300〜400m 辻堂対岸―約280〜450m
訪問:2009年1月・2026年8月

 

 櫛田(くしだ)川の支流、蓮(はちす)川の中流左岸側にある。現在の蓮ダムの南西、県道569号の途中にある。
 清瀬(きよせ)という地名表記もしばしば見られる
。
蓮で会った方の話では猿山と清瀬は別々の集落とのことだが、詳細を調べられず確証は持てない。西側(セウス谷以西の尾根)が清瀬、東側(ヤジヤマ谷の向かいの尾根)が猿山だろうか。

 町郷土誌によると、神社に細溝神社や秋葉社、寺院に円照寺(曹洞宗。山号は月光山)があった。また清瀬保育所が昭和35年9月開設、同55年青田保育所とともに森保育所に統合された。
 なお大字猿山は、近世の猿山村。明治22年飯高(いいたか)郡森(もり)村、昭和31年からは飯高町の大字となる。明治2年13戸・60人、昭和35年42戸・232人、同50年25戸・83人、同57年5戸・19人。昭和22年に電灯が引かれた。

 2026年、旧版地形図で「猿山」と記された一帯は新版地形図では「清瀬」の表記となっていることを確認。「猿山」と「清瀬」の関係性は依然として判然とせず。また大字猿山地内で、青田の辻堂(つじどう・つじんどう)(蓮川・青田川合流部)の対岸(地図画像の右上)にも宅地が複数あることも分かり、これらを訪問した(同時に「清瀬」の水没部分、「清瀬」東部の高所も訪問)。

 

 

≪「清瀬」東部≫

 屋敷跡が2箇所、猿山・清瀬の間にある小さな谷筋には段々になった石垣(農地跡?)が、尾根筋には、神社と思われる跡地(写真6)があった。

 2026年、水没地と新版地形図に建物が記された標高380m付近の高所を訪問。前者は整地のため痕跡は皆無(写真4)、後者は茶畑跡?や狭い農地跡が見られたが、家屋が立地していたような広い平坦地は見られなかった。

 


写真1 屋敷跡


写真2 屋敷跡


写真3 神社跡?


写真4 水没地の旧道跡付近。住宅が並んでいた
(2026年撮影)


写真5 茶畑跡の石垣
(2026年撮影)

写真6 農地跡
(2026年撮影)

 

≪「清瀬」西部≫

 県道から少し斜面を入った場所に、家屋群から離れて1軒の廃屋(山本姓)がある。さらに道伝い斜面を登ると、家々が集まっていた跡地と段々になった農地の跡がある。廃屋(母屋)が2軒、屋敷跡が4箇所くらい見られた。

 


写真7 廃屋


写真8 屋敷跡の納屋


写真9 屋敷跡

 

≪辻堂対岸≫

 2026年訪問。やや水位が低く川沿のかつての宅地付近が現れていたが、湖面に降りる道路が建設されているため地形が変わり、いくらかの石垣が見られた程度であった。
 また家屋群があった尾根から山中に通じる道があり、高所でも1箇所の屋敷跡を確認。

 


写真10 水面の屋敷跡付近。石垣が残る
(以下2026年撮影)


写真11 高所の屋敷跡?


写真12 高所の屋敷跡。左奥に小屋が見える

 

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