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◆葛草連(くんぞうれ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「小瀧」(昭和30.7)を使用したものである

所在:小谷村中土(なかつち)
地形図:雨飾山/小滝
異読:くんぞうれん
アクセント:クンゾーレ
形態:山の斜面に家屋が集まる
離村の背景:集落移転事業
標高:約860m
訪問:2008年5月・2025年11月

 

 中谷(なかや)川の右岸の斜面、小谷温泉の南西部にある。
 地元の民宿の方の話では、かつての家は10軒。杉原姓・小林姓・室谷姓(文献でもそれぞれ5軒・3軒・2軒で10軒)。役場が移転に際し援助金を出し、昭和40年くらいにほぼ一斉に無人になったそう。
 訪問時は斜面からの融雪により車道からは進めず、中谷川より斜面を登っていった。地図でも破線で描かれている道があるが、ほとんど残っていない。集落跡には、人家?の屋根が残っていた(写真1)。また斜面に作った農地跡がそれとなく分かる。屋根のある敷地の裏手はなだらかな斜面になっており、祠のようなもの(写真2)、何かの入口の石柱?(写真3)が雪に埋もれていた。石柱には「安政」や「施主」といった文字が見られる。
 昔の小谷温泉への道は、大草連(おおぞうれ)集落から葛草連の集落の中を通っていた。なお大草連は現住。こちらも中谷川の右岸の斜面にある。

 2025年再訪。温泉方面から通じる車道跡を利用した。積雪があった前回とは違い集落跡はよく見渡すことができたが、屋敷跡は痕跡に乏しい。新たに墓地を確認したほか、前回見られた小祠群も見ることができた。写真3の2本の石柱と小祠の間には潰れた屋根のようなものがあり、社のようなものがあったのかもしれない。
 なお集落南の尾根上の小さなピークも訪れてみたが、特に何も見られず。

 村誌によると、明治7年10戸、昭和33年7戸76人、同43年6戸27人、同51年4戸13人。
 かつての家は以下のとおり。

  姓 屋号 移転先 備考
1 杉原 オオシタ 中土地内 本家
2 〃 ミヤシタ (絶家) 1の分家
3 〃 ナカ 大町市 〃
4 〃 ソーゴロー (絶家) 〃
5 室谷 ヤシキ 中土地内 本家
6 杉原 アラヤ (絶家) 1の分家
7 室谷 ニマイダ 中土地内、のち松本市 5の分家
8 小林 オオヤケ 大町市 本家
9 〃 ヨコメ 中土地内 8の分家
10 〃 シタデ 〃 〃

 また集落の北西に諏訪神社、南西に「融通念仏碑他石仏群」が記されている。碑には謎めいた文字が刻まれており、村の文化財にも指定。移転後は神宮寺の近くへ移されたとのこと。

 資料『信濃教育』によると、当地には中土小学校真木分校(※1)の冬期分室が置かれていたとのこと(※2)。「葛草連の山の上にあるお宮」に、12月から翌年の3月まで開設。本校および分校に通学することが困難となる、葛草連および小谷温泉地区の児童が通学した。
 期間は不明だが、昭和26年に赴任した教員が当時を振り返る内容となっている。

※1 同じく村内にあった千国小学校真木分校とは異なる 
※2 この情報は、2025年に閲覧者様より出典とともにいただいたもので、当方でも資料に当たり確認したものです。この場を借りてお礼申し上げます

 


写真1 赤い屋根


写真2 小祠


写真3 2本の石柱

写真4 向かいの山々を望む

写真5 屋敷跡
(以下2025年撮影)

写真6 屋敷跡

写真7 遺物

写真8 建物跡

写真9 被牽引車輛

写真10 墓地

 

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