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◆沢ノ入(さわのいり?)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「長野」(昭和21.12)を使用したものである

所在:長野市小鍋(こなべ)
地形図:信濃中条/長野
形態:谷沿いの斜面に家屋が集まる
離村の背景:災害
標高:約710m
訪問:2025年11月

 

 大字小鍋の西部にある。裾花(すそばな)川の小さな支流の上流部。

 市誌によると、昭和44年7月に発生した地辷りにより近接の田中・日方とともに移転を決意。翌年、3集落の全30戸が移転したとのこと。
 昭和44年7月9日夕方(※1)、平石の市道千木線で土砂が決潰。下方の田中まで流出し、2戸に危険が及び全戸に避難勧告(※2)が出された。12日には知事の視察があり、田中・沢ノ入は移転を決意。市は山の土地45haを買い上げ、集団移住を確保する計画をたてた。翌年10月3日、沢ノ入の寛松寺でお別れ会を開き、西長野へ9戸など沢ノ入・田中の全戸が移転した。日方もこれに前後して移転。
 なお寛松寺は曹洞宗の寺院で、これも地辷りのため昭和47年に西長野へ移転した。

※1 8巻より。7巻では7月8日からとある
※2 8巻より。7巻では避難指示とある

 また日方との間(沢ノ入地籍)には小田切小学校北分校があった。市誌と碑より、その沿革は以下のとおり。

 明治5.7  小鍋・山田中・宮野尾・吉窪四ヶ村組合立の萬綏(ばんすい)学校設立。寛松寺に支校設置
 明治15.4  小鍋支校が独立し、盛進学校開設
 明治16  萬綏学校が塩生(しょうぶ)学校と改称、久保に新築し日向(日方)に支校を設置
 明治20.9  塩生学校・盛進学校統合。日向学校となる
 明治22  小田切尋常小学校の小鍋派出所となる
 明治34.7  独立。小鍋尋常小学校となる
 昭和16.4  小鍋国民学校となる
 昭和22.4  小田切小学校北分校となる
 昭和45.3  閉校


 集落跡には屋敷跡の蔵が1棟残るほかは、建物は皆無。寛松寺跡には、「萬綏学校小鍋支校跡地」の標柱(平成6年11月、小田切小学校百二十周年記念事業実行委員会による)や無縫塔が見られる。
 東にやや離れた学校跡(写真10)には「小鍋尋常小学校跡地」の碑(平成6年11月、百二十周年記念事業実行委員会による)が建てられており、用途不明の付属建物とプールの跡が残る。
 さらに遠く離れた浅間神社の登り口(富士ノ塔山の南東)には、学校の玄関の一部が移設され休憩所となっている(写真12)。説明板によると、明治42年に改築された時のもので、昭和52年にこの地に移されたとのこと。

 


写真1 二十三夜塔と道祖神

写真2 屋敷跡の遺構(浴室)

写真3 蔵

写真4 屋敷跡にて

写真5 屋敷跡

写真6 屋敷跡

写真7 寺院跡。標柱は寺院に併設されていた学校跡を示すもの

写真8 写真7付近にて。無縫塔には「當山十四世…大和尚禅師」「當山十五代…大和尚禅師」と見える

写真9 集落内のイチョウの木

写真10 学校跡

写真11 学校のプール跡

(写真12 移設された学校の玄関の一部)

 

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