◆下笹又(しもささまた)
所在:大野市下笹又字上河原(かみがわら)ほか
旧西谷村の北部、真名(まな)川沿いにある。 明治5年27戸156人、同44年21戸122人、大正9年31戸150人、昭和5年25戸132人、同30年23戸128人。昭和40年9月の集中豪雨により、一部の住民が移住開始。同41年真名川総合開発の一環として真名川ダム建設が決定し、間もなくすべての残存世帯が大野市などに移転 また中島に展示されている集落の地図(昭和30年代)には、木戸口3・清水2・広瀬2・松浦2・安田2・秋田・木下・国本・鉱崎・杉本・関角・田中・土森・本田・山口・山下各1の計22戸が記されている。秋田氏は医院、一方の広瀬氏は馬車を取り扱っていたよう。関角氏は分教場の脇に居住があるが、同校の教員か。 集落は水没を免れており、両岸の高みからは集落跡の平地や旧道などが確認できる。国道の坂之谷(さかのたに)橋の袂には「離郷記念萬霊之碑」(昭和44年建立)(写真4)があり、昭和40年の豪雨で離村したことが読み取れる。また離村者の名が列記してあり、これは先述の展示と同様(ただし広瀬氏の表記は「廣瀬」)。
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(写真1 真名川ダム) |
写真2 集落跡 |
写真3 集落跡。橋は坂之谷橋 |
写真4 碑 |
写真5 かつての集落風景(中島にて) |