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◆壇築(だんつく)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「水海道」(明治42.8)を使用したものである

所在:坂東市長谷(ながや)
(境界変更前は千葉県木間ヶ瀬(きまがせ)村字〆切(しめきり))
地形図:宝珠花/水海道
異表記:檀築(旧版地形図)
形態:中洲に家屋が集まる
標高:約10m?
訪問:2026年3月

 

 大字長谷の南西部にある。
 往時は利根(とね)川の中洲で千葉県旧木間ヶ瀬村(後の関宿町)の所属であったが、のち茨城県岩井市【現・坂東市】に編入、現在の利根川と鵠戸(くぐいど)沼幹線排水路との合流部付近の河川敷に当たる。

 資料『野田文化』によると、「壇築は利根川の中島であり、梵天洲は同島の内上納谷寄りの出岬を云ふ。将門が梵天を祀り壇を築いて礼拝した場所と称せらる」とのこと。
 また資料『木間ケ瀬地区の民俗』によると、明治32年に利根川の東西に存在する飛び地の調整が行われ、利根川以東にある当地が千葉県旧長須村(後の岩井市)に編入されたとのこと。当時12戸79人。
 
なお同時に「小通里」(22戸145人)が長須村(千葉県)に、長谷(千葉県)の飛び地(1戸7人)が茨城県に編入している。
 無住となった時期に言及はないが、地形図(5万分の1)では大正5年発行のものまで集落が存在し、昭和7年のものでは消滅。中洲は以降の版でも残り、昭和54年のもので消滅している。なお
境界の変更に関しては反映が遅く?、中洲が消えた昭和54年のものでようやく直線的になっている(小通里も同様で、初期から昭和44年のものまで境界未確定となっている)。

 現地は大部分がが河川敷として残っているが、集落の痕跡は見つからなかった。
 なお表記については地形図では「檀築」となっているものの、『木間ケ瀬地区の民俗』ほか各資料では「壇築」となっており、見出しの表記はこれに従った。

 


写真1 堤防より集落跡方面を望む

写真2 現地の風景

 

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