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◆木野崎新田(きのさきしんでん?)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「粕壁」(明治43.10)を使用したものである

所在:野田市木野崎(きのさき)字柳耕地(やなぎこうち)?
地形図:守谷/野田
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約10m?
訪問:2026年3月

 

 大字木野崎の北部。かつての利根(とね)川の右岸側にあった。現在は利根川と飯沼(いいぬま)川の合流部となり、かつての宅地の範囲は利根川の水域を挟んだ両岸に亘っている。
 河川改修により地形が変わっているが、当地は字柳耕地の北西端に当たると思われ、後述の「柳耕地の集落」である可能性がある。

 資料『水利科学』には、「柳耕地の集落は明治末の利根川第2期治水工事に伴って千葉県木野崎に移転した」とある(「木野崎新田部落各戸の由来」からの引用)。
 また資料『三ヶ尾・瀬戸・三ツ堀・木野崎の民俗』によると、木野崎の
字菩堤・高根・向山においては、木野崎の他の地区に比べ利根川の河川改修によって移入してきた家が多いとのこと。例として、「キクヤ」(地名)から当地へ移転してきた家が9軒確認され、いずれも明治からから大正時代にかけて柳耕地から現在地へ移転してきた家であるという(菩堤5軒、高根4軒)。
 なお河川改修後には柳耕地への渡し場が設けられ、耕作に通う人の便宜を図っていたという。昭和46、7年頃まで営業し、市内では最後の渡し場であった。

 なお地形図(5万分の1)では、昭和3年発行のものまで利根川は改修前で集落が記載されており、同23年のものでは河川が改修され集落も消えている。

 訪問は、茨城県側から南下し堤防より俯瞰したのみ。旧来の土地は失われているため、まず痕跡はないよう。

 


写真 跡地を望む

 

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